EXILEに出会って人生が救われた話。

注意:以下にEXILEに人生救われたオタクの長々とした自分語りが始まります。そして虐待や自傷行為に関わる記述あり。苦手な方はバックしてください。

 

 

幼少期に親が離婚し、母の連れ子として育ての父の家に引っ越したのが6歳の時。
実父方の祖父母は「 離婚や再婚をしている家庭で育てられた孫はヤンキーになるに違いない。もちろんうちでは引き取らないけどな!」という謎理論を展開。
それをプレッシャーに受け取ってしまった両親は、それはそれは厳しく私を育てた。
母に偉そうな口をきいた、机の上が汚い、学校に持っていく鉛筆が完璧に削れていないとか、そんな理由で何時間も家の廊下に立たされ、頭や頬を叩かれる。腕をひねりあげられる。泣いて頭がぼーっとしているときに「なんで怒られたか説明してみろ。」と言われ、内容がひとつでも抜けていたら「話を聞いていない証拠だ。」といってまた叩かれる。この頃は叩かれすぎていつも頭皮が痛かったし、腕をひねられすぎて右腕だけ手首や肩の力が弱かった。今思い返すと、別に口も悪くなかったし、机の上の汚さなんて教科書出しっぱなしにしていたとかそんなレべル。スケープゴートの役割を押し付けられて、暴力を正当化する理由が欲しかっただけだと思う。


その頃からストレスで爪を噛むようになり、怒られてもその癖は治らなくて、しまいには母親が包丁とまな板を持ち出して「いっそのこと指ごと切り落としたる!」と。酒臭い息と血走った目が恐怖だった。泣いて謝って指を切り落とされるのは回避したけど、次の日は指10本全部に絆創膏をぐるぐるに巻き付けられて登校させられた。友達にどうしたの?と心配されて超恥ずかしかった。


兄と喧嘩したとかしょうもない理由でお風呂上りに下着のままマンションの廊下に締め出されたりもした。恥ずかしいし怖いし。まだ夏だったのが救い。近所のおじさんはちらりと様子を見てすぐに家の中に入ってしまった。助けてくれなかった。そりゃややこしい家庭に巻き込まれたくないよね。今思い返すとなかなか過酷な時代だったな…。

 

そんななか妹が生まれ、放課後におむつやミルクの買い出し、家事の手伝いをするようになり、友達と遊ぶ機会がぐんと減った。ますます孤独になっていく。これまでがだいたい10歳になるかならないかの話。

そして、当時デビューしたてのNEWS、デビュー前のKAT-TUN関ジャニ8に出会い、ドル誌や歌番組、ラジオなどに心の拠り所を見つけるわけですが、テレビにジャニーズが出てたら即チャンネルを変えてくる父親との攻防に疲れ果てて中学生の半ばあたりでジャニオタ卒業。(これは妹に対しても同じことをしてたらしい。どんな心理だよ。)

しかしそのころ夢小説にはまってたおかげで、国語の伸びしろがよかったことがのちの人生の財産となる。ありがとうジャニーズ(?)

 

家では母親からの過干渉、お酒に酔ってささいなことで殴られる生活は続いていた。 この頃寝てる間に馬乗りになった母に首を締められるというクレイジーで貴重な(?)経験もした。

ストレス反応で教室に入るとお腹を下すという地獄の中学校生活はずっとスカートのポケットにカッターナイフを忍ばせていた。もちろん人を傷つけるためではない。今でも自分でつけた傷跡だらけの腕やお腹や足を見るたびに、もっと他の人生もあったんじゃないかなと思ってしまう。後悔しかないけど、これがなかったらあの地獄のような十代は生きてこれなかったと思う。

 

そんなこんなで唯一成績の良かった国語一点突破で全日制高校に進学→体調崩して即休学→復学→即中退と目まぐるしい1年半を過ごしたのち、何の疑いもなく月10万円を家に納入する17歳コンビニアルバイター時代を経験してから翌年に定時制高校に入学した。

そこでまともな大人(教師)たちと接したことで、私の家の環境おかしいな…と気づいて(やっと)、それが受け入れられず自傷が酷くなる+摂食障害発症。週5日朝から夕方までスーパーのレジ打ち、そのまま高校に登校、帰り道のコンビニで大量に食材を買い込んで食べては吐くを繰り返した。7年経っても摂食障害はいまだに治ってない。マシにはなってきたけどね!ぴーすぴーす。


家を出なければ死んでしまう。その一心で高校三年生の夏前に担任の先生に進路を相談。(激遅)
結婚もせず、一生一人で生きていける仕事は何かと聞けば「看護師になりなさい。」と。もともと保育士になりたかったけど、そこから進路変更して勉強開始。母親の酒癖の悪さ+自殺未遂などによってストレスで受験会場に行けないなんてこともありながら、一度就職して、なんとか実家を出ることに成功。そこから看護学校に合格。

そして、人生を変える出会い。

 

夏休みに実家に帰省すると、当時中学生だった妹の部屋に見知らぬポスターやDVDがずらり。「三代目の岩ちゃんが好き」と。あまり芸能人に興味のなかったはずの妹がハマる三代目とやらは一体どういうものなのか…。そこで見させてもらったDVDがそう、TOW2014。

 

三代目すっとばして、二代目として並んで踊っていたなおちゃんと啓司さんにハートを打つ抜かれたのでした。ズキューン。 衝撃すぎて実際後ろに倒れ込んだ。マジで。


そこから、ツイッターアカウント開設。徐々に直人オタとつながり、他メンバーオタとの輪も広がった。ツイッターで知り合った人とご飯食べに行ったり、人生で初めて飛行機に乗って一人で北海道までフォロワーさんに会いに行く旅をしたり。

これは今までの自分の人生では考えられないこと。一人じゃなにもできないくせに、と呪いのように親から言われ続けてきたから。本当に一人じゃなにもできないと思ってた。でも、大好きなフォロワーさんに会いたい一心で、一人で飛行機やホテルの予約をして、実際に北海道に行けた。三月の末、まだ雪が降ってる北海道で、迷子になりながらもホテルについたとき、自分の人生が切り開けた気がした。私、どこまでもいけるじゃん!って思えた。


毎日EXILEや三代目、SECONDの音楽や映像に触れ、自分の心まで強くなった気がした。友達も増えた。妹と仲良くなった。いいことしかねぇ。EXILEすげぇ。

 

 

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ありがとうB型コンビ、ありがとうEXILE…。

 


そして私の人生に一番よい作用をもたらしてくれたのは、生きる意味や頑張る意味をポジティブに変えてくれたこと。
紆余曲折ありながらも、現在なんとか看護師として働いている。世間のイメージでも浸透してきていると思うが、看護学生って、ほんっとうに!つらい!!人間扱いされず、多重課題に追われ、精神的にも物理的にも眠れない日々。


でも私は看護師にならなくては。だって死んでも実家に戻れないから。ってかこれ以上実家で暮らしてたら死んでしまう。どちみち死。死しか待ってない。

看護師になれば全国どこでも働けるし、免許取ったら行方をくらまして地方で働こう。そんなことを考えて耐え抜いていた。でも、学生寮に入って親と物理的に距離を取ることで、母親との共依存みたいな関係性が崩れた。そして、たまにしか帰らないことで1日くらいなら案外仲良く過ごせることがわかってしまった。


上に書いた日々は今でも思い出すと涙が出そうになるけど、それ以外にも親らしいことはたくさんしてくれたから感謝もある。親も親で、過酷な子ども時代を過ごしたから同情の余地もある。そんなこんなで嫌いにはなれない。

頑張って看護師になって自立する、なぜなら親が憎いから。

という動機が薄れてしまって心が折れそうになっていた。ネガティブな動機によって、そのことにずっと囚われつづけて苦しかったし、問題が解決してしまったときの燃えつき具合に途方に暮れてしまった。もう頑張れない。学校も辞めてしまおうかな、なんて考えてた。

でもEXILEに出会ってしまった私は、ツイッターで繋がっている強いオタクのお姉さんみたいに、全国いっぱい飛び回ってライブ遠征したい!いっぱいグッズ買いたい!もっと推しの活動にお金を落として貢献したい!と思うようになった。そのためにお金を稼ぎたい!だから今の生活を頑張ろう!!!!!と。なんてポジティブ。なんてファビュラス。実際そんなことばっかり考えて、推しやツイッターのみんなに励まされながら看護師になれてしまった。EXILEすげぇ。(二回目)

 

最近の痛ましいニュースを見てると、どうしても自分の幼少期を思いだして泣けてしまう。
私は周りにいる人に恵まれてここまで生きてこれた。教師や職場の先輩、友達、恋人、EXILEを通してツイッターで出会った人々。そしてやっぱり親にも生かされた。HIROさんはじめ、EXILEトライブみんなの「親に感謝!」精神はたまにつらくなるけど、そういう風に思える人は幸せだと思うし、そう思えない人生でもいいと思う。


推しにときめいて、生きる活力をもらっている。今を生きている。

生きててよかったな。うん。


心の底からそう思わせてくれるEXILEすげぇ。(三回目)

 


ここまで読んでくれたあなたへ。
ありがとう。そして愛してる。